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無罪放免か?・「食道がん」からの解放(序章)


無罪放免か?・「食道がん」からの解放(序章)

平成18年5月下旬に毎年受けている健康診断(半日ドック)を地元の医療機関(当地・鈴鹿では市民病院は無いが民間で最大級の医療機関である)で受診した。
例年の結果は肝機能が多少?であったので今年もかな~と思っていた所、受診数日後に電話が入り食道に異常が見られるので早急に胃カメラで精密検査をということであった。
今まで胃カメラは飲んだことがなく不安だったが、その場で受診予約をし二三日後に胃カメラ検査を受けた。
結果は・・・食道の真ん中辺りに腫瘍があるので組織を取って精密検査・・・ということであった。
精検の結果は悪性腫瘍とのことでCT検査をすぐに実施し「食道がん」と確定・宣告を受けた。

「晴天の霹靂」とはまさにこの事だ、頭の中が俗にいう「真っ白」になり「がん=死」という文字が頭の中をグルグル回ってエンドレスの状態に陥っていた。

今死んだら家族はどうなる、仕事はどうなる、、、大丈夫か?、、、え!俺は死んでしまうのか?、死とはどんなものだろう? 僅かな財産相続どころか借金はどうなる?、、、、

担当医はCTフィルムを見ながら「幸いにも転移は無いのですぐに切除手術をしましょう」と迫ってくる。「当病院での手術実績は?」と聞くと「殆どない」と の事。詳細なやり取りは忘れてしまったが、少し冷静に考える事ができてセカンドオピニオン受診を決断し紹介状を用意してもらいCTフィルムを借りて帰宅し た。

セカンドオピニオン受診と言っても何処の病院へいけばいいのか情報が全く無いのでわからない。Webで色々検索していて三重県内では無理そう、かと言って東京まで出かけるのもと探していて「愛知県がんセンター(以下ACCと記載)」が良さそうと決めた。
担当医等がWebで紹介されているのを頼りに、この先生に診てもらおうと勝手に決めて6月初旬にACCを初診で訪れた。
予定通りに決めていた先生に面談ができた。CTフィルムを診てすぐに「リンパに転移がありますね~」の一言、流石専門医で見込んだことはあると勝手に決め込み、この先生に託そうと即決した。

そこで治療方針等を聞いた所「今の所見ではアメリカだと手術不可能な進行度だが幸いにも日本では手術は可能」とのことであった。
であるならば手術で切除してもらおうと「すぐに切ってください」と即断しお願いした。
ただ手術待ちの患者が多数おり三ヶ月後の予定しかない、それまでは抗がん剤治療で多少なりともがんをやっつけて手術しましょう、ただし抗がん剤治療の結果次第で手術が出来なくなる恐れはありますとの事であった。
抗がん剤の恐ろしさは以前から聞いていたので、抗がん剤治療なしに手術できないかと担当医と押し問答を繰り返していた所、、、一ヶ月後の手術予定の患者さんがキャンセルとなったと一報が入ったので直ぐに手術予定を入れてもらい抗がん剤治療はしなくても良くなった。

7月6日にACCに入院し11日手術の予定が決まった。

以下は診断内容、手術内容等説明資料からの抜粋

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1.病名と病気の現状および治療方針

病名は食道がん(扁平上皮癌)です。
進行度はTINOMlb ⅣB期です。扁平上皮癌(へんペいじょうひがん)という組織型です。がんの場所は、胸部食道のまんなか近くにあります。がんの深 さは、食道の粘膜下層まで達していますが、周囲の大動脈などには及んでいません。胸部・腹部CT検査で、右声帯を動かす役割のある反回神経のそばのリンパ 節への転移があると判断しました。今後の治療として、手術または放射線化学療法があります。手術で腫瘍の切除が完全にできれば、治る確率がより高くなると 思われます。
手術の欠点として後に述べるような合併症があり、手術による直接死亡が1.8%、在院死亡を含めて5%程度あります。また、食道を切除することによるQOL(生活の質)の低下もあります。
放射線化学療法の長所は食道の温存ができ、もちろん胃も残ります。治療の副作用として放射線肺炎、食道炎などの副作用がみられることもあります。放射線化学療法は、この病期の方に最初にする治療法としてまだ確立されていません。

2.手術の方法

手術は、おなか、胸、頸部の3箇所に傷がつきます。おなかでは、胃周囲のリンパ節を含め胃の一部とリンパ節を切除します。胃は、細長くして食道をとったあ との通り道として使います。頸部では、反回神経周囲のリンパ節も併せて切除し、食道と胃を器械で吻合します。胸の操作では、食道およびその周囲のリンパ節 を取り除きます

3.術後の経過およびその治療に際する不測の事態の可能性(合併症など)


暖声:反回神経周囲の転移があるリンパ節をとるため、一時的にあるいは永久的に声帯が麻痺することがあります。声帯が麻痺すると声がかすれます。何もしな くても6カ月でほぼ反対側の神経が代償して声がでるようになります。また、声帯が麻痺したときは、アテロコラーゲンという物質を声帯に注入して声がより早 期にでるように処置をします。



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がん宣告を受けてから過去の生活態度を見なおしてみた。酒・煙草は二十歳(これは真面目に成人してから始めたので自慢出来る・笑)から始めた。酒は休みな くつまみを食べながら毎晩飲み主食は食べずに直ぐ寝る習慣だった。仕事でどんなに遅くなっても外での食事はしないで帰宅して床につく前には必ず一杯やる習 慣が身についていた。煙草は一日一箱強でヘビースモーカでは無いと思う。
休肝日をもうけよとか、禁煙せよとかは他人ごとで自分は意思が強いから絶対に酒・煙草はやめないと強がっていたが、、、がん宣告されてみると何と浅はかな考えだったと初めて気がつく始末である。
今まで大きな病気はしたことがなく入院手術なんて人事のように思っていたが、とうとう自分にもその時期がやって来た。入院したら当然に酒・煙草は飲めない (隠れてまでは飲む気はなかった)・・・ならば「酒は百薬の長」だが煙草は「百害あって一利無し」なので煙草は止めようと5月31の夜に一服吸いながら決 めた(笑)。家族の見ている前で今吸った煙草・灰皿をゴミ箱に投入して禁煙宣言した。それ以来煙草とは縁がなくなった。
いざ禁煙して暫くすると他人が吸っている煙草の匂いがやけに気になりだした。今までは感覚が麻痺してたんだろうと気が付いた。後に会社事務所も完全に禁煙にしてやった。
煙草にしても吸わなくなって煙草の害がわかってくる始末で、弱者になって違う景色が見えてくるのと同じだろう。人間自分の立場だけで物事を見たり考えたりするのは片手落ちだと気がついた。

7月11日 予定通り手術実施、本人は麻酔で何もわからないが10時間位かかった模様。麻酔から覚めてくると喉に違和感がある、しばらくして管を抜いてくれたので自前の呼吸ができ楽になる。
一週間位は集中治療室で過ごし三日目位からはトイレに歩いていけるようになる。リハビリを兼ねての散歩で生まれて始めての車椅子に乗せてもらい病院内を案内してもらったが、目線が違ったので非常に新鮮な気がした。
一週間程で集中治療室から一般病棟へ、ただ体にはイッパイ管が刺さっている。記念にと持参したデジカメで管の刺さった体を看護師(ここの看護師さんは皆若い!)さんに撮影してもらったが画像を紛失してしまい手元には残念ながら残っていない。

手術前に切除した物を見せてもらいたいと担当医に頼んでみたが無理なようで、それならせめて写真を貰いたいとお願いしたら願いを聞いてくれてほぼ原寸大に 写った写真をいただくことができた。家族には手術直後に切除した物を見せて説明があったようだが、そのときは未だ動いていたらしく担当医も非常に目面しい 元気な食道で手術するのも骨が折れたと言ってたそうであった。

手術は予定通りだったそうだが、切除した胃の周りの組織を顕微鏡検査した結果は転移が一箇所見つかったそうである。

声帯の麻痺は予定通りであった。そのせいもあり食事は当然ながら喉を通らない。胃も手術してあって使えない。どうするか?簡単でお腹に穴を開けチューブを 差し込んで小腸まで貫通させて点滴で注入する。経口薬も口からは無理なので小腸に直接入れる。夜眠れないので睡眠導入剤をもらうがこれも小腸に直接注入す る。お腹もすかないし薬も飲まない・・・でも生きている・・・不思議な感覚だった。
それも一週間位で終わり体中に刺さった管を抜き、水も食事も薬も口から入れれるようになり、やっと人間と言うより動物いや生物らしさが戻ってきた・・・嬉しかった!
しばらくは風呂にも入れずにいたのだが、入浴許可が出て湯船に首まで浸かれた時の感激は今も忘れていない。日本人に生まれて風呂に入れてつくづく良かったと嬉しさをかみ締めた。

水みたいなお粥から、だんだんと硬くなっていき数日で普通並の食事が出るようになり、やっと人間らしくなってきた。
順調に推移すれば二週間位で退院出来ると主治医から聞いていたが、血液検査の結果で感染症の予防のためか退院の許可が遅れはしたものの三週間位で退院できた。
退院前に主治医からは転移も見つかったことだしと抗がん剤治療を強く勧められたが、再発したらその時に考えればいいのでと抗がん剤はやりたくないときっぱりとお断りして退院許可を出してもらった。

8月1日 退院。

退院後は自宅で療養したが、たかだか三週間の入院生活で体力が相当落ちているのに唖然とした。
手術してから5年半程経過した今日でも術前の体力には完全には戻っていないが、これはこれで上手に付き合って行くしか無い。

手術前の説明で「反回神経周囲の転移があるリンパ節をとるため、一時的にあるいは永久的に声帯が麻痺することがあります」との事だったが、その通りでまともに声が出ないし、水すらごくごくと飲めず気管に入っていき直ぐにむせ込む状況が一向に治らない。
そこで予定通りにアテノコラーゲン注入による治療を8月21日にしてもらったところ一週間位で声もなんとか出るようになり水も飲めるようになった。
このアテノコラーゲン(たしか豚から採取したもの)は自然に消滅して、その頃には声帯が自己回復力(片方の麻痺をもう片方が補助できるようになるらしい)により復活すると聞いていたのだが、、、正しくそのようになった。

二ヶ月間位禁酒していたが、水が飲めるようになったので一番小さな缶ビール(135ml缶?)を買ってきて恐る恐る口に入れたが、なかなか飲み込めなく て、、、意を決して「ゴックン!」・・・あの時の感触・感激は一生忘れないだろうと思うほどの喜びが湧いてきたのを今でも思い出す。

退院後は知人の奥様のがん闘病記にならって食事療法に専念し現在に至っています。

いわゆるダイエタリー・ビーガン (Dietary Vegan)ですが、昔の日本食が基本で、特に意識しなくても子供の頃の食事を思い出せばいいだけなので非常に楽な治療法だといえます。
ただ、現在はコンビにの御握りでさえ油を入れて米を炊いてるようで油抜きの料理を外食で見つけるのは難しくなっています。

同時期に別の知人から四国のT病院のN先生を紹介していただきました。ただこの病院・薬は自己診療(保険適用外)なので経済的な負担は大きいですが、何とかやり繰りできるだろうと5半年ほど服用してきました。

手術で完全に取りきれたのか、食事療法が功をそうしたのか、N先生の投薬が効いたのかは特定不可能ですが手術後ほぼ三ヶ月毎に検査してきた腫瘍マーカーの 数値も大きな変動はなく、定期的な胃カメラ検査やCT検査も異常なし、昨年一月にはPET CT検査、膀胱内視鏡検査までやりましたが異常なしで現在に至っています。

五年生存率にも貢献できた(笑)ことだし、N先生の投薬治療は打ち切ることにしました。
今後はACCでの定期検査を受けながら食事療法を継続していこうと思っています。

成人二人に一人ががんに侵される時代を、がんと戦って五年経過したのは良い経験になりました。
完全に完治(無罪放免)はありえないと思ってますので、ここで一区切りをつけて次の五年間を過ごして生きたいと思います。

この病気になって家族の大切さを実感、妻や子達に感謝するとともに、お世話になった皆さんに御礼申し上げます。有難うございました!

T_Matsu    平成24年3月17日 記